忍者ブログ
AdminWriteComment
※個人の趣味によるブログです。基本的に本を読んでます。
No.
2025/05/21 (Wed) 12:21:14

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

No.775
2014/09/21 (Sun) 04:05:28

ふわりと、甘い風が鼻先をかすめた。
貴陽紅邸の書庫から、数か月にわたり、かりたままだった本を数冊抱えた絳攸は、風の行方を追うように首をひねり、後方に視線を走らせた。母屋がある。子供のころから見なれた一角に自然と眼が吸い寄せられ、口元がほころんだ。
踵を返してそちらに向かう。不精して部屋にため込んでいた本の重量は、すっかり腕の中から消え、足取りはどこまでも軽い。
ふわりと甘い風が再び通り抜けると、ますます絳攸の笑みは深くなった。
――呼ばれた気がした。
母屋に入ると、昔馴染みの侍女が「自室にいらっしゃいますよ」と指で場所を教えてくれた。決して絳攸の方向音痴を揶揄しているわけではない。目的の人物は最近やたらとあちこち移動するようになった。前から行動力のある人だったが、安静にしていてほしいという周囲の思いに、「病気ってわけじゃないんだし、このままだと体がなまっちゃうわ。そっちの方が問題」と聞く耳持たずに歩き回っている。
侍女に聞いた扉は薄らと空いていた。絳攸は入室を伝えるために「入ってもいいですか?」と聞いたが返事がなかったので、少し迷ってからそっと覗いてみた。
窓辺に置かれた椅子に座って、百合は寝ていた。
音をたてないように扉を開けて、中に入る。
よく歩き回っていても、身重の百合は疲れるのも人一倍速いのだ。赤ん坊がおなかの中にいるのだから当たり前だ。
西日を受けて百合の白い顔や琥珀色の髪が輝いている。睫毛の陰が落ちているのが眩しそうで、本をそっと脇の机に置いて、窓に日よけの薄布をたらした。肩から落ちそうになっている肩掛けに気付いて、体を冷やしてはいけないと慌てながらもそっと直しているのに、百合が目を覚ましてしまった。
「あら、絳攸。来ていたのね」
「今来たばかりです。百合さんに呼ばれた気がしたので。顔を見て帰ろうと思ったのですが、起こしてしまいました」
「いいのよ。気にしないで。それにそのまま帰ってたら怒ってたわよ」
侍女に絳攸が来ていたことを聞いて、会話一つせずに帰ったことを知ったら、百合は絳攸の所までやってきて、「何で帰ったの?」と笑顔で問い詰めに来ただろう。寝てたからなんて理由は聞いてもらえない。昼寝なんだから起こせと無茶なことを言っただろう。実にありそうな話だ。
ここで部屋の中がいつになく静かなのに絳攸は気が付いた。きょろきょろと見回す。
「そう言えば黎深様は? いらっしゃらないんですか」
「黎深なら朝から邵可様の家の周りをうろついてるわよ。当分帰ってこないんじゃない」
黎深のいつも通りの行動を庇おうと言葉を探したが、絳攸の優秀な頭脳をもってしても出てこない。
「……黎深様はとっても解りにくいですが、心から百合さんのことを心配されてます」
困り顔で言ったら鼻で笑われた。
「知ってる知ってる。わたしがちょっと立つのにも座るのにも辛気臭い顔でうろうろされちゃ、うっとおしくて堪らないわ、本当に。邵可様に迷惑をかけちゃうけど、邵可様ならあの黎深も軽くあしらってるでしょうし、たまには心安らかに過ごしたいっていうか」
黎深は相変わらず黎深で、問題を起こしまくって百合は大忙しで怒鳴っていた。妊娠中で百合が仕事をしなくていい分、そして黎深が無職の分、一緒にいる時間が必然的に増える。つまり黎深の起こすアレコレに百合が巻き込まれる時間も比例のだ。その光景を思い出し、絳攸の口から乾いた声が出た。本当に黎深の妻をやっていけるのなんて、世界中どこを探したって百合くらいなものだろう。
「ん」
「どうしました百合さん」
「今、この子が蹴ったの。ふふふ元気ね」
百合はそっと着物の上から腹部を撫でた。一度触らせてもらったことがある。張ったお腹から伝わる温かい体温と胎内の赤ん坊の動きは、絳攸にとてつもない感動と衝撃をもたらした。
「もうすぐ生まれますね」
「まだまだよ。あと一月以上。これからもっとお腹が大きくなるんだって。先生が言ってたわ」
くすくす笑いながら百合はこともなげに言った。腹がその重さで体から落っこちてしまいそうな程十分膨らんでいるのに、まだ膨らむなんて一体百合はどうなってしまうのだろうか。絳攸はちょっと心配になったが、百合の幸せそうな顔と鼻歌はまぎれもなく母親のものだった。
「百合さんと黎深様がお父さんとお母さんになるんですね」
ふとそう漏らしていた。男児が女児か解らないが、赤ん坊を腕に抱く百合とそっと覗く黎深の姿が浮かんだ。見ているだけで幸せになる風景だ。
「あら何言ってるの絳攸」
とんでもなく優しく笑った百合が絳攸の手をきゅっと握る。
「わたし達はずっと前からあなたのお父さんとお母さんじゃない」
体温が伝わる手。弓なりになった百合の瞳。母の顔。ずっと絳攸にむけられていた顔。
窓が閉まっているのに甘い風を感じた。その中に交じるのは微かな李の香り。黎深が好きな花で、絳攸の姓で、この家の庭にもいくつか樹があって、毎年一番初めに白い花をつける。
あの香り。
「はい」
涙が出そうになって眼に力を入れた。

拍手

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
[780]  [779]  [778]  [777]  [776]  [775]  [774]  [773]  [772]  [771]  [770
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
ブログ内検索
最新コメント
[04/26 faux collier van cleef prix]
[10/31 rolex oyster perpetual submariner date fake]
[09/10 cartier promise bracelet fake]
[02/20 boucles d'oreilles van cleef papillon fausse]
[02/20 used cartier ballon bleu watches replica]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
MIRE
性別:
非公開
バーコード
P R
忍者ブログ [PR]