遺跡には事欠かないローマ。
迷いながら歩いていると、曲芸飛行を偶然目撃したり楽しかったです。
そしてとうとうたどり着きました。
あきらめてバスで帰る途中に見つけて降りましたね! やっぱりローマと言えばこれ!!
大満足でした! 朝イチで行けなかったので混んでいました。
フランツリストのエステ荘の噴水という曲のエステ荘です。リストの石碑があったので、ここでもきっと演奏したのでしょう。
イタリアの券売機はポンコツなので、チケットの大行列の前に一本電車を見送ることになり、帰ったのが11時くらいでした。この日も疲れた。体中痛かったです。
この近くで食べたポルチーニの入ったパスタは絶品でした。
さて、朝は雨、昼は晴れ、そして曇り、とうとう雨が降ってきました。
イタリア3日目もハード。くたくたになってホテルの近くで食べた夕食はおいしいのですが、量が多すぎました。。
飛行機疲れ+1日目から2万5千歩歩けば、寝坊もするさ、と思いつつも、急いで準備して、事前に申し込んだヴァチカンツアーに参加してきました。
法王が朝にシスティーナ礼拝堂で急遽何かご用事を済ませたらしく、オープンは後ろ倒しになりました。
地図の間やラファエロの間、そして美術品の鑑賞および、システィーナ礼拝堂を回って、ドームに上りました。ドームは別料金。希望者のみ、ツアーを離れて上ることが可能でしたので、数々のドームを上った身として、外せませんから!
ツアーでなくてもいいとは思いますが、説明もあるし膨大な美術品と混雑する中、一人で回るよりかツアーの方が効率的です。
ピエタ像の後ろの窓から入るやわらかい光が、後光のようでした。
ヴァチカンの郵便局で親と第二の親(ホストファミリー)にはがきを出しました。
久々に話を聞いて思った。うん。何も変わってないあの会社。
同時に、そうそうそんな感じだったーーー!!
友達は「私は心を○○(会社名)に売った」と言う始末。※彼女はいろんな事情があって転職が難しい人です。
前の会社は給料(カツカツ)とボーナス(どこで評価してるか不明。増えない)はちゃんと支払われるのですが、いわゆる「ブラック企業」寄りの会社です。
その内容は語ると長いので、割愛。
給料とボーナスだけはちゃんと出ていたので、ブラック「寄り」。
とにかく「給料払って働かせてやってるんだから感謝しろ」精神があけすけですが、こっちからしたらいや何言ってんの
こんな雀の涙のような給料で、馬車馬のごとくはたらいってやってんだから感謝するのはそっちでしょ(笑)
という当たり前(?)の意見すら、吹き飛ぶ環境でした。
ロイヤリティを求めるならそれ相応のリターンを与えるべきなのに、ロイヤリティだけを求め、不平不満がある社員は辞めさせることをにおわせる。本当に嫌らしい。
人は使い捨てという看板をぶら下げて社員を脅しているわけです。
そんな感じで、勤続10年以上のワーキングママが現在窮地に追いやられています。(上記の友人とは別人)
彼女に対しては私も在籍中は思うところがたくさんあったのですが、とにかく仕事はできる人です。彼女が完全復帰してくれたら戦力はアップするのでしょうが、定時上がり必死なのでそこまで期待できません。
その彼女が家庭の問題で、AM会社で仕事、PM在宅勤務にしてくれ、と上司を通して相談を持ち掛けたら、経営陣(70代男)から嫌な顔をされたそうです。
で「もう(辞めても)いいんじゃないか」と彼女の上司に伝えたらしいです。
結局上司の尽力で認められたらしいのですが、給料がかなり下がり、本人に伝えているかわかりませんが且つ1年で復帰できなければクビという条件です。
………。もうさあ、本当に前の会社の経営陣さあ、申し訳ないけど馬鹿なんじゃないの?
どうして彼女の仕事の幅が広がる! じゃなくて、そんなこと言って仕事ちゃんとできるのか、なの?
仕事してない人を責めたいなら、某部長を処分しなよ。(客先訪問すると言ってジム通い。業務放棄+交通費横領)
いや、彼女にだけ「特例」として在宅勤務を許すのは、所々で遺恨を残すのでやり方としてよくないと思いますが、別に仕事できるんだったら場所なんて大きな問題じゃないじゃん?
仕事内容知ってますが、在宅でも共有フォルダとシステムに接続できない以外は不便はありません。
逆に彼女も在宅します! っていうんだったら時間にとらわれずに勤務時間以外でも残った仕事は終わらせなよ、とも思います。
在籍中、在宅で仕事できるなら時間外でも彼女にやってもらいたかったですもん。
今の会社は体調がちょっと悪い日とか大雨、雪、台風等の時は在宅でもOKです。前日にPC持って帰って仕事できますし、何なら自宅のPCからでも承認とればサーバーに接続可能です。
メールだけならiPhoneで見れます。
いや、もちろん外資系だから夜の11時に会議があったりとかで、アクセスの必要があるからっていうのはあります(夜中になったら上司に任せて出席しない人もいる)。
始終仕事をチェックできるっていう点では自由は減ったかもしれませんが、仕事する時間を選べるという展では自由です。通勤中に関係ない案件を整理したり、海外が仕事している時間にメールを送信できたり、はかどることもおおいです。
今更ですが、書いていきます。
ヨーロッパの旅行シーズンは10月まで。11月からは価格が一気に落ちます。
というのも、夜は3時くらいに暗くなるし、気温も下がるし、イベントもないし、で観光のローシーズンなのです。次の会社が決まってから、観光本を購入し、旅行計画を立て、チケットを予約し、出社最終日を迎え、韓国旅行に行き、戻ってきてから数日後にヨーロッパに旅立ちました。
今回の旅行計画も、細かく…。チケット類も多かったので、日付別に茶封筒に入れてオーガナイズしました。
飛行機はロシアのモスクワ経由。直行便は10万くらい高かったから、2時間くらいの差だから、と選びましたが、まあいろいろトラブルに巻き込まれ、ローマに到着したのは次の日になってしまいました…。ロシアはね、冷たい国だな、と思いました。
余談はさておき。
イタリアの空港に到着後、ローマのホテルまでに向かう途中にすりにあいそうになりました。
飛行機のトラブルに加えて、スリ。テンションが底をついて、「ああ、イタリアなんて来なければよかった」と真っ白になってました。
何も盗られていないし、その前に気づいたのですが、ごく普通の身なりの人が、あんなことをやるなんてすっごくショックでした。盗られなかったのは、一見簡単に開きそうなバッグなのですが、その実持ち主でさえ開け閉めに苦労するバッグだったからです。
以後、電車に乗るときは、ファスナーの部分をしっかり押さえて乗るようにしました。
そんな駄々落ちテンションで、とても観光なんてする気分ではなかったのですが、己の貧乏性が許さぬわけで、ホテルで30分くらい休んでから外に出ました。
とりあえずトラブルのせいで、お昼前だったので、さっそく計画通りに行けなくなったので、コロッセオ周辺へ行ってみました。
これがね、大当たり。テンションが一気にガーっと急上昇。だって駅を出たら、この絶景がバーンと現れるわけで、「わーすごい! これ、テレビで見たことあるやつだ…!!」となりました。その一枚がこれ↓
しかしコロッセオではなくてまず向かったのはお隣にある、フォロロマーノという古代都市遺跡です。
2時間くらい散策してからコロッセオへ移動。コロッセオはめちゃくちゃ大人気なので、チケットの列がとても長かったのですが、ローマパスを購入したので、並ばずに済みました。
コロッセオの地下が見えます。小さな小部屋に分かれていて、そこで動物が飼われていたり、出場する人が待機していたり、動物のえさなどが置かれていたようです。
さて、お決まりのごとく道に迷いまくって、目的地外として今回寄ったのはこちら。
サンタ マリア デッリ アンジェリ教会。外見は廃墟のようなレンガが所々崩れている、おどろおどろしさがあるのですが、一歩中に踏み入れれば、清廉とした荘厳にして温かみのある教会が現れました。
後ほど調べたら、ミケランジェロの設計だそうです。ローマにはね、そんなのがゴロゴロしてて、見張りも何もなく近づきたい放題です。遺跡がゴロゴロ点在してます。珍しくも何でもないのでしょうね。柱の残骸とかに座ってますもん!!
この教会で場所を調べて、本来の目的地に向かいました。
サンタマリアマッジョーレ大聖堂。4大聖堂の一つです。
内装はさすがです。イギリスの教会と違うのはもちろんのこと、ドイツとも、フランスとも違って、ローマの教会はなんかこう非常に温かみがあって且つロマンティックです。派手でもゴテゴテでも過剰でもなく、お上品に、ぴったりとおさまっていて、でも神様の威厳は保たれている感じというか。とにかく、「本物」でした。
タイミングがあったのか、2階の見学ツアーをやっていたので参加しました。5ユーロ。英語orイタリア語の二択なので、英語グループに加わりました。
2階のベランダから見守る天使たち。百合の花を抱えています。
片方の組はベランダから教会の方を見ていて、もう片方の組は外を見ています。
壁はモザイク画で、モザイクアート好きなのでごちそうさまでした。
この後、ちょっとした宝物庫もみました。
さて、日が暮れてきたので次の目的地はーー。ビットーリオエマヌエーレ二世記念堂。ここで夕日を鑑賞。ちと遅れてしまって最後の夕焼けを少し見れたくらいでしたが、美しかったです。
有料展望台から見た夜景。
下りた後。ヴェネツィア広場とライトアップされる記念堂。
さて、この後は夜の散策。
ローマの休日のスペイン広場、バルカッチャの噴水、トレヴィの泉
勿論ジェラートを食べながら散策。
ホテルはスペイン広場の近くなので、観光しやすかったです。
疲れて帰ってから寝落ち。さーて、ハードな旅はこれからです!!
数年前に一世を風靡した毛沢東を批判したノンフィクションの大作「ワイルド・スワン」を読了しました。いんやもう、すごかった。言葉にならないくらいの力に満ちた大作でした。今の中国に確かにつながっているという実感もあります。
さて、この「ワイルド・スワン」は著者の祖母、母、著者自身の三代記です。この三人が生きた時代というのがまさに激動の時代という言葉がぴったりな、日本による占領、戦後の国共内戦、共産党国家の成立、文化大革命とその終わりの中にあります。
近代中国について私全然知らなかった。こんな凄惨だったんだ。--というのが読了後の率直な感想でした。毛沢東を批判しているとは聞いていましたが、彼がどういう人物で何をしたかなんて恥ずかしながらろくに知りませんでした。中国建国の父で、なんか文化大革命っていうやつをやったんだよなあ、くらいの知識です。
訳者あとがきにあるように、この時代の中国の移り変わりを体系的に網羅した、まれな作品です。変遷が、そのつながりがわかるすごい本です。訳者の言う通りエリート階級に属していたからこそ、政治の流れを中心に近い位置で感じていられたのだと思います。そしてなにより、作者の母と作者自身の明晰な頭脳と語り手としての才能があったのでしょう。
日本に住んでいる我々からすると、戦後教育や様々な段階を経て、またニュースに触れることで、共産主義の中国より、民主主義の台湾の方が「いい国」だ、という認識を少なからず持っているのではないか、と思います。台湾の建国の父ともいえる蒋介石の方が、イデオロギーの共通点が多く、より近しい感じがし、より「人道的」だと思ってしまいます。実際蒋介石のこともほとんど知らないのに。しかし作中の国民党の描写はそれを裏切るものでした。特に苦戦していくにつけ。しかし国民党だけではなく共産党ももちろん、同じくらいーーそして文化大革命中にはそれ以上に残虐なことをしています。人が人をここまで痛めつけられるものか…と思うとぞっとしました。誰もが疑心暗鬼になり、神経質になり、おびえ、威嚇し、私情が理性にまさり、言葉尻をとらえ、罪をねつ造し、肉体的精神的暴力に満ち、破壊の限りを尽くすーーこれがこの本に書かれた文化大革命でした。「文化」とは果たしてーー? 革命とは「逆転」のことです。しかし「文化」「大革命」に至っては、毛沢東が自分の地位を確立するために、自分以外の人間を失脚させるため彼らの地位の「逆転」を図った約10年にも及ぶ「政策」でした。人々は完全にマインドコントロールされ、こんな時代になっても毛沢東を疑うことはしなかったようです。一つには知識は無駄なものだとして、教育機関をほとんど麻痺させてしまったことにあります。あとは刷り込みと恐怖による精神的な負荷にあると思います。まともな判断をできないような緊張の中、おびえながら生きていかなければならなかったのでしょう。恐怖による支配というのはだから毛沢東については当てはまらないのです。ほとんど神格化されていたのでそんなことしなくても、人々は毛沢東に忠誠を誓っているのですから。
様々な文化財、文化遺産がこの時代に壊されました。焚書により多くの知識が失われました。日本の廃仏毀釈ですら仏教美術に相当なダメージを与えたのですから、中国の歴史を考えればその比ではない規模の損害があったことでしょう。
作者とその家族は、特権を味わい、それゆえに迫害され、ぎりぎりのところを生きてきました。それでも生きてこられたのは、虐げられた理由の「特権」があったから。そしてそんな殺伐とした時代にあっても、作者の家族は温かさと勇敢さを忘れなかったからでしょう。
とにかくすっごい本でした!
初めの作者の言葉から、本編が始まる前にもかかわらずのめりこみました。
力がある。凄惨で目をそむけたくなるような出来事が後半は満ちていますが、それでも作者やその家族の温かさと勇敢さに満ちていました。作者同様に自分で道を開いた中国人もいたことでしょう。それが誇らしい。
ちなみに今は山崎豊子の「大地の子」を読んでいます。
久々洋書。洋書のスケールは好きなのですが、名前が覚えられないのと、すうっと入りにくいので敬遠しておりましたが、その「入りにくさ」についてようやくヒントをつかめました。
国内小説は客観的な心情描写が多く、海外小説は直接的な心情描写と情景描写が多い気がします。あと脇役の行動もちょくちょく描写されているので、取調室なら俯瞰で見ている感じ。
例えば「目を細めた」「顔をゆがめた」「言葉を吐き捨てた」等で、「人物」(内面)を繊細に描いているのが日本の小説。カメラワークとしては一つ一つの風景や人物に焦点が当たっている感じかな?
海外の小説はなんていうか「コーヒーをかき混ぜながらマジックミラー越しの少女をじっくり観察
した。彼女は机に投げ出された腕をかきむしりながら窓の外を見つめ、私の隣でボブがバーガーにかぶりついていた。」いや違うな。難しい。なんていうかとにかく情景描写と人物の描写が直接的で、とにかく映画っぽいんですよ。中心人物たち以外の人も動いて目まぐるしい。
閑話休題。
まだ海外の小説になれていませんが、この「蝶のいた庭」は素晴らしかったです。
処女たちをさらって「蝶」として育てるガーデンと、管理人の庭師。少女たちの背中にはそれぞれ違った蝶の刺青が色鮮やかで痛々しく、そこに庭師の狂気と執着を感じます。
中心人物であるマヤの語りは捜査員の真意からはわざとずらしています。しかしガーデンでの生活が、そこで暮らす少女たちが鮮やかに浮かび、捜査員の質問そっちのけでのめりこませます。目を覆いたくなるような出来事が語られますが、話がつながって、読者は驚きとともに狂気のガーデンを閉ざすことができます。
少女たちを誘拐し、乱暴し、コレクションにしていくことを「彼女たちのため」と疑わない庭師の行動はおぞましいのですが、マヤという少女の語りによって素晴らしい物語になっています。
さあみなさんも狂気の世界をのぞいてみませんか?
2018年。新年早々再び六本木ヒルズのお正月イベントに出向き、振る舞い酒を飲み、セールをのぞき(買わなかった)、渋谷に移動し、代々木公園でフリスビーしてきました。
2日は近くの公園で、バドミントンしてきました。
楽しかった…。
2017年は、好きな作家のサイン会やイベントに参加でき、手術も無事に済み、念願の外資系へ転職し、旅行もでき、後半はとても楽しかったです。
転職はなによりも一番大きな出来ことで、本当に水を得た魚の気分がわかりました。
腐った場所にいたらだめになる。それに気づかずに、洗脳されていき、自分を見失い自信喪失する。今は? 私は何でもできる、という自信がつきました。自己肯定が半端ない。とても大事です。
毎日楽しい。これが今年も続きますように。
2018年の目標は、我慢強く、です。
決して我慢強くないわけではないのですが、謙虚な気持ちと忍耐強さを大切に、邁進していきたいと思っています。あと人にやさしく、だったり素直になる、もあります。
今年はアントワープに行きたいと思っているので、そのためにも頑張ります!!
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